デジタルエンタテイメント断片情報誌

デジタルな話題もそうでない話題も疎らに投稿

現代の”親子代々指揮者”にチョット注目する

クラシック音楽に限らず、芸術や芸能の分野で親子・血縁関係による継承だとか、ごく一部の関係者以外お断りというのは、正直良い印象を持っていなかった。身内で固めたものの末路、といったことを歴史の勉強だけではなく、現代のワイドショーといった俗な情報からもそれなりに咀嚼していたせいだろうか。とにかく、このご時世に”二世”や内輪じゃあるまいしと嫌悪感を抱くことが少なくなかったように思う。

しかし最近、だからといって外部から有益な情報や商売をもたらそうとする者は、清廉な志を抱いているようにみえてその実、自らもそのご利益に”あやかりたい”のがミエミエなケースを見かけるようになって以来、考えを改めるようになった。

例えば芸術の分野だと、(自称)研究家・専門家、あるいは熱烈な愛好家の類だろうか。中には社会に対する何かしらのコンプレックスを解消したくてイデオロギー丸出しの”トンデモ”研究家もいたりする。

もっとも、想像するに容易なはずだが、それだけ人を惹きつける芸術・芸能家のもとにはプロ・アマ問わずこれまで幾度となくそういった類の連中が接触しているわけで、今更相手にされないことがほとんどのようだ。例えば出版社の編集者など、素人が考える何倍・何十倍も粘り強く交渉を済ませていたりする。

そうやって相手にされなかった連中が、近頃は平然とSNSあたりで不満を漏らし、さらに「○○は素晴らしいが、閉鎖的で取り巻きがダメ」などと、本人に近しい関係者周辺に対してまで妙な敵愾心を抱いたりするのだ。しかし結局のところ、そんなことをSNSで全世界に向けて愚痴ってしまうような奴は信用置けない、結果的に関わらせなくて正解、といったところだろう。「閉鎖的」なんて批判する当人の了見こそ狭い、というわけだ。


話の枕が何の脈略もないくせに示唆的過ぎですか? ええまあですね、”指揮者の家系”なんてのも色眼鏡で見ず、まず聴いてみましょうという話です。

今話題の指揮者一族と言えば、ヤルヴィ一家でしょうかね。ネーメ、パーヴォ、クリスチャン⋯。3人共狙っているかのように珍しい曲を採り上げることが多く、コレクターやマニアにも名前が浸透しているのではないでしょうか。

チャイコフスキーの『雪娘』が親子で比較できるとは。私は父ネーメ・ヤルヴィの演奏が弾けていて好き。クリスチャンの演奏はもう少し遊びが欲しい。

Tchaikovsky: Snow Maiden (The)

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マルケヴィチとカエターニのショスタコーヴィチ交響曲第1番なんてどうか。こちらは録音状態を差し引いても、正直甲乙つけがたい。キレのマルケヴィチと、柔軟性のカエターニでしょうか。
マルケヴィチは、本人曰くレパートリーについては基本的になんでもござれのタイプだったそうで、ストラヴィンスキーといった特定の作曲家だけでなく、まだまだ評価されて欲しい。カエターニはタンスマンの交響曲なんてのも録音していて好感度大。

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