デジタルエンタテイメント断片情報誌

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生誕110周年・ショスタコーヴィチ交響曲全集を聴く 第2回 交響曲第2番

ダラダラしたペースですが、新生メロディアから発売されたショスタコーヴィチの生誕”110”周年記念の交響曲全集ボックス(10枚組 MEL CD 10 02431)から、今回は交響曲第2番の話です。
(2023/7追記:各種リンク、目次や見出しを追加・修正)

・序のリンクはコチラ
・各交響曲へのリンクはコチラ:

第2番は、面白いが

本当は第2番・第3番の演奏時間を踏まえて、まとめて紹介したかったのですが、2番の話が少し長くなったので分けることにしました。作品解説によくある「若き日の実験作」といった要素を真に受けたわけでは決してないのですがねぇ。やっちゃいました。

例えば他の作曲家で考えてみるとどうでしょう。ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、マーラー⋯。1曲ずつ紹介するでしょうね。シューベルト、チャイコフスキー、ドヴォルザーク⋯聴いたことがない、あってもどんな曲だったかパッと思いつかない、なんてことがあるかもしれません。モーツァルトなんかもカタログとして持っているだけ、で終わっているかもしれません。この辺りの作曲家でこの体たらくなのに、ショスタコーヴィチで第2番・第3番まとめてやっちゃうと、もう誰に向けての記事かわからなくなる気がしてきました。じゃあ良いか。

ということで、第2番。ショスタコーヴィチの作品の中で、体感的に演奏会での演奏頻度も低い曲ですが、前半の超(ウルトラ)対位法や合唱は、この作曲家に慣れるには聴いておいて損はない気がします。サイレンの有無も楽しみの一つですかね。実際、聴いてみるとなかなか面白い。ただ、面白いからといって、無性に何度も聴きたくなるような曲ではないのだなあ。

この辺りの感覚は、ショスタコーヴィチを取り巻く環境や作品の変遷はあるにせよ、初演時の「反響はすばらしく、私は四度もよびだされたほどだ。」(『ショスタコーヴィチ自伝』P.18、訳・ラドガ出版、発売・ナウカ)という評判から、再演時の「『嵐のような熱狂的な喝采』に駆り出されて、作曲家は十回も答礼した。⋯だがこの『十月革命に捧げる』が、コンサートの定番になることはなかった。」(『ショスタコーヴィチ ある生涯』P.67、68 アルファベータ)といった記述に、図らずも結びついているように思います。

ディスコグラフィ

記念ボックスにはコンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏が収録されている。一応ディスクは第1番~第3番収録でお得なBMG国内盤のリンクを。リサーチでもしたのかと言いたくなるくらい、所謂”名演”と世間で評されている、ガッチガチのチョイス。録音に時代を感じるが、まあメロディア、旧ソビエトの録音と考えれば十分、こんなものか*1。演奏は重心が低くて、鋭いというコンドラシンのショスタコーヴィチ解釈がハマったときのもの。合唱も壮絶。ただこの演奏で全集を作っている指揮者とはいえ、サイレンなしの演奏なのはうーん、記念ボックス収録としては惜しいか。

(2020/7追記)MelodiyaがSpotifyなどサブスクリプションでの音源配信を停止したので、現在コンドラシン指揮の第2番は配信では聴けない模様。残念。
2020/9追記)と思ったら、この記念ボックスはSpotifyの配信が再開されている。※NMLの配信停止は継続。ディスクを探す前に聴けますよ。


この曲の録音を収集していて、おそらくぶつかるであろう、ブラジュコフ指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の演奏(RUSSIAN DISC RDCD11195)。ファンなら割と知っている、”有名な”レア盤、というヤツですな。カップリングのテミルカーノフが指揮する交響曲第10番がこの記念ボックスにめでたく収録されたので、この第2番も収録・復刻されるかなと思ったのですが予想が外れました。そんなことを書きつつ、実際その演奏はどう思っているかというと、私はあまり良いと感じないんだな。この曲は演奏効果として、もう少し立体感が欲しい。録音もその点からマイナスなように思う(ややこもり気味・モノラル気味)。ああ、それが収録されなかった理由か。

余談ですが指揮者の「ブラジュコフ」という名前、「ブラシコフ」やら「ブラジコフ」といった、色々な表記があるみたいですね。ビクターのLPで「ブラズコフ」もあったかな。こういう日本語表記のことで一応書いておきますが、対象が特定できれば、私はどの表記でも結構です。「○○語の実際の発音では〜」といった話は、拝聴しますが意に介しません。だからムーソルグスキィでもチャイコーフスキィでも、もちろん結構です。まあベリルンドは流石に戸惑う御仁がいそうなので個人的にも使いませんが(わからなかったら検索、検索)。大体趣味と本人のこだわりの話ですからね。ちなみに、音楽を語る自分の”キャラ付け”としてもそういう表記にこだわらないつもりです。え? まあ商業ベースに乗る話が舞い込んだら気にしますよ。広く一般的に使用されているのはどの表記か、ってね。そりゃあ金のためなら、グヒヒ。有り得ないからいくらでも書ける書ける。


閑話休題。録音と演奏からいくと、第2番は新し目の演奏が好き。ということでキタエンコ指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団とコフマン指揮ボン・ベートーヴェン管弦楽団がお気に入り。演奏の立体感と、合唱も雰囲気によくマッチしていてこの作品を堪能できる。特にコフマンの指揮した演奏は、室内楽のような清廉な響きを上手く醸し出していて面白い。サイレンもコフマンの方が好きかも。どちらの全集も、ショスタコーヴィチの近年における演奏がどんなものか聴きたいときには外せないですねぇ(コフマンは分売あり)。

(2020/7追記)キタエンコ指揮はSpotifyで全集が聴ける。コフマンはなぜか配信してないんだなあ。


というわけで次回は交響曲第3番の話をやります。

*1:これら録音に慣れた後に他レーベルの新しい録音を聴くと、異様に良い音(演奏)に聴こえるときがあり、各時代・レーベルが残した録音に対する”信仰”から目を覚ますきっかけになる。

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