デジタルエンタテイメント断片情報誌

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三浦淳史と、その紹介した音楽家

クラシック音楽を聴き始めた頃に、ライナーノーツに載っていた「三浦淳史」という音楽評論家の名前と文章が印象に残った。イギリス音楽、海外の事情通として名を馳せた評論家である。

とりわけ海外紙やインタビューを中心とした演奏家や作曲家のエピソード紹介が印象的で、その文章と情報紹介のセンスは今でも好きである。後年、雑誌に掲載された記事を中心にまとめた本があるのを知って購入したのだが、やはり素晴らしい(『レコードを聴くひととき ぱあと1、2』(東京創元社))。憧れの文章、と言ってもよい。演奏家や作曲家に対する思い入れはあっても、実のない過剰な言葉・文句で扇動することもない。今だにつまらないレトリックを並べた挙句、「もっと○○を!」のように陳腐な締めくくりをしている文章を見かけるが、そんな文章よりも余程心動かされるものがある。何せ、一連の滋味ある文章の中で三浦淳史が「この二人は天才です」とまで書いて名前を挙げているのが、伊福部昭と早坂文雄なのだから⋯。

この本の情報が、今も意外と「使える」本で度々読み直している。それもそのはず、1950〜1980年代の音楽家のエピソードが盛り沢山なのだ。当時の録音を聴くにしろ、存命の演奏家の演奏を聴くにしろ、本は古くなっても、中に載っているエピソードは鮮度が落ちない。「あの頃はこんなこと言っていたな」、「昔と全然変わってないんだな」、「情報の元ネタが今と同じなのだな」と振り返ることができる。例えばクレンペラーの「それがベートーヴェンと何の関係があるかね?」という有名なエピソードも載っているが、これは正しくはファスナー(チャック)ではなくて、ボタンだったようだ。最近は、チャック部分がボタンタイプのズボンは見かけなくなった。

紹介されている演奏家の中で、今年亡くなったピエール・ブーレーズの名前もある。ニューヨーク・フィル就任時の頃の話だが、やはりと言うか、"指揮者"ブーレーズの評価というのは当時も高かったようだ。また、昨今「オペラ座を爆破せよ」などの発言が独り歩きしている感もあるのでもう少し書いておくが、ニューヨーク・フィルに急激な変革をもたらすような姿勢については、ブーレーズ自身は慎重だったことがわかる。「私はホールに爆弾を仕掛けるなんてことはしないよ。そんなのは私のやり方じゃあない」(『ぱあと2』P.170より)。


そういうわけで私も、ろくに話もできないのに"作曲家として"云々言わず、素直にブーレーズの指揮した録音の話をしておこう。ブーレーズの訃報は、実はこの記事を書くきっかけでもあった。ザルツブルク音楽祭より、マーラー・ユーゲント管とのバルトーク『4つの管弦楽曲』、自作『ノタシオン1-4』、ストラヴィンスキー『春の祭典』。(SF 007)

作曲家云々言わないと言いつつも、私はこの『ノタシオン』が好きで、ピアノ曲よりも断然オーケストラ版。中期芥川也寸志作品が好きな御仁なら、いけるはず。ストラヴィンスキーはこういう演奏団体だと、「若さ」「熱気」という言葉で感想を書きたくなるが、ブーレーズのコントールが良く効いた演奏で、音の透明感と、ここぞという時の開放感が良い。セムコフ指揮ポーランド青年響のシューベルトもそうだったが、若い演奏家と熟練の指揮者を組み合わせた演奏は、勢いよりも落ち着きが印象的な演奏になる気がする。

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