デジタルエンタテイメント断片情報誌

デジタルな話題もそうでない話題も疎らに投稿

ダビングの1、Mの1

今は「ネットサーフィン」なんて言うほどやらなくなったが、インターネットを使い始めた頃(10年以上前か)に、よく検索していたワードがある。そのワードは「伊福部昭」。当時はこの作曲家に関する色々な情報が欲しくてたまらなかったのだ*1

90年代後半に「音楽」を趣味として意識し始め、特にクラシック音楽というジャンルから、色々なジャンルへの興味になだれ込んでいた時期がある。そんなときに、大げさに言えば「原点回帰」だろうか、「あの音楽聴きたいな・あの音楽はどうなっていたっけ?」と思った作曲家の一人だった。いやあ、おかげでクラシック音楽どころではなく、特撮・映画・アニメ・歴史といろんな趣味に引き戻されたり、足を突っ込んでしまうことになってしまった…。

この今に続く、自分の趣味の原動力になったのが、あの魅力的で、唯一無二の旋律・リズムを湛えた音楽だった。そしてそれらに関わるものすべてを知りたくなる、そんな作曲家が伊福部昭だった。


それから月日は流れたが、こういう具合に自分が「はしゃいでいた」時期(※今もそんなに変わっていないのですが)を思い起こす伊福部昭・讃が載っている本がある。それが以前も紹介した『トンデモ音楽(ミュージック)の世界』。

トンデモ音楽(ミュージック)の世界

トンデモ音楽(ミュージック)の世界

この本の「ドシラの逆襲―伊福部昭の巨大なる映画音楽再論」をメインで担当しているのは開田裕治・八尋健生という、「知る人ぞ知る」両氏。特撮映画音楽中心に、ページ数は少ないが語り口は熱い。今では情報が氾濫し過ぎて、かえってネットで目立たなくなった感のある「伊福部昭のここがすげえ」トークと、(ファンなら知っている)薀蓄話が手軽に読める。また「映画音楽再論」と謳いつつ、純音楽作品との出会いについて語っているのも良い。そう、前述の通り、関わるものをとにかく知りたくなるのが伊福部昭作品なのです。

開田・八尋両氏の過去から現在に至る、伊福部昭本人との交流も興味深い。今では考えられない、バイタリティあるファンの姿*2を知ることができる。この本に載っているエピソードに加え、両氏が現在でも伊福部昭関連の仕事・活動を行なっているのは、羨ましいの一言*3

今年から来年にかけて、生誕100年を記念して数々の演奏会も予定されている。来年はゴジラも復活するそうだ。伊福部昭作品の演奏も録音も、まだまだ聴き足りない。
↓6月は楽しみだなあ。
伊福部昭 生誕100年記念プレコンサート

*1:今ほど検索エンジンが強力ではなく、検索ツールを使って夜な夜な探したものです。

*2:今とはファン・オタクの性質面が違うこともあるのだろうが、当時(〜80年代前半)は両氏のような活動・行動をすることができた(許された)時代でもある。

*3:不気味社の活動(八尋健生)を通じて、伊福部昭本人から「異色である」と認められるなんて、正直他のどんな自称・他称も霞みますな。

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