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『ガールズ&パンツァー』関連物落ち穂拾い その22 『月刊モデルグラフィックス』2024年1月号発売他雑談

4Dが早々に公開されている『ガールズ&パンツァー 最終章』第4話ですが、12月になってディスクの発売も発表されました。2024年3月27日発売予定とのことです。今回は公開後恒例の『月刊モデルグラフィックス』と、ディスク発売に関して雑談したいと思います。

『月刊モデルグラフィックス』2024年1月号発売:【巻頭特集】ガールズ&パンツァー最終章 第4話大ヒット上映記念

『月刊モデルグラフィックス』の2024年1月号が発売中です。『ガールズ&パンツァー最終章』の最新話が公開された直後の重要な情報源です。プラモの作例だけでなく、本編映像から登場車輛、小ネタまで網羅されています。とは言え派手なネタバレ記事は入れない(ひっそりとは入っている)、良心的な雑誌です。

KV-1は映画館で観た時、タミヤの1/48(増加装甲型)がしっくりくると思ったのですが、今は売ってないんですね。私は当時、同スケールのKV-2と一緒に買いました。ただ誌面で他校試合の情報が妙に少ないんですよね。戦車の紹介でチラっとわかるくらい。サプライズというかネタバレ回避というか、ガルパンの公式サイトでもあまり触れていない。おかげでこうしてネットで記事にしていいものか、随分迷ってしまいました。

『ガールズ&パンツァー 最終章』第4話のBlu-rayとDVDが発売

そして第4話はディスクがあっという間に来年3月27日発売予定。『最終章』後半は公開スケジュールに目途が立ったのでしょうか? 憶測で書いてもしょうがないですが、残りの話はせめて毎年公開して欲しいなあ。感想記事で詳しく書く予定ですが、クオリティのためとはいえ、2年以上間隔が開くのは流石に度が過ぎる。

それにしても、ジャケットはここまで可愛いか、に尽きます。こうして既存のキャラをメインに据えるだけでもビンビンくるものがあるのに、『劇場版』から『最終章』への展開含めたこれまでの流れは本当にもったいない。

法人共通特典を見る限り、このディスク発売が発表されて、ようやく第4話の後半の話題をしても大丈夫かなという気分になりました。特典自体は相変わらず野暮ったいデザインですが⋯。どうにかならないのか、あれは。ともあれ、家で見られることを楽しみにしたいと思います。

『ガールズ&パンツァー 最終章』第4話 4D:MX4D上映の感想

11/23から上映の『ガールズ&パンツァー 最終章』第4話 4Dを観てきました。MX4D形式です。初日初回に行きましたが、私が行った劇場はほぼ満員。もっとも第4話の映像を観れば4Dに期待したくなるものでしょう。改めて確認したかった内容もあり、早々と体感しました。

それにしても、過去3話と比べて特に早い段階での4D上映開始です。映像を作った時点で集客を狙っていたのでしょうか。だとしたら良いフットワークです。できれば本編完成もその位⋯。今回は、これまでガルパンで注目されてきた各種音響設備での上映についても触れたいと思います。4D・内容共に一応ネタバレありです。


※誰が主役なのか言わんばかりの「第4話 4D上映告知PV」。画像をタッチ・クリックすると動画(YouTube)が再生できます。

MX4Dで観る『最終章』第4話 4Dの感想

第3話4D以降の特徴として、効果がとても自然になったと思う。洗練されてきた、と言ってもよい。第4話4Dもその傾向だ。ここで動くのか、光るのか、といった唐突で不自然な効果はほとんどない。

一方で、本編の視覚・音響効果に勝るアトラクション的要素があるかと言うと、そこまで突き抜けたものがないというのが率直な感想だ。特に第4話は本編の映像を観て期待した向きが多いと思うが、通常上映の方がインパクトあったのではないか。急斜面やアップダウン、スピード感ある戦車の動きと、本編で色々とわかりやすい”仕掛け”を用意していたはずなのに、どの効果も均等で満遍なく収まっている。悪く言えばこじんまりしている。是非このシーンを体感して、という箇所がないのだ。

むしろ第4話は4Dによる効果がつく前の、通常上映に作品本来の魅力が戻ってきた感がある。特に継続戦前半の攻防がそうだ。ただ戦車が殺陣のように至近距離で撃ち合い爆速で動く画を見せるのではなく、作戦風景を入れつつ各チームに会話させ、対戦校の思惑を見せることを欠かさない。静と動の塩梅が凄く良い。だからこそ座席で実際に風を浴びなくとも、試合会場にいるような気分になり、映像や音だけで寒々しさや静寂を感じる。そしてそうやって作品に釘付けになるからこそ、滑り落ちそうな急斜面が映像で映えるのだと思う。


続きが待ちに待って公開される昨今、体感も悪くはない。だが、上記のような後引く味わいを重視した方が、後々忘れ難い作品になるのではないかと改めて感じた。

『最終章』と音響、ガルパンと音響

第4話、ひいては『最終章』は4Dで鑑賞する前に、種々の音響で体感してきた。極上爆音上映に始まり、DTS:X、Dolby Atmos、轟音上映にスカルプト センシャラウンド 7.1ch⋯。特に第4話は公開当初からこれら音響による上映スケジュールがズラッと並んでおり、すっかり定着したのだな、と感慨深い。

そういった中で実は第3話以降、音響面で以前ほど上映形式の優劣を感じることが少なくなった。第4話の公開当初の感想でも書いたが、5.1chといった通常上映でも迫力は水準以上だと思う。作品の進化が、全体のレベルを底上げした結果だろう。それ故に最近はこのようなガルパンの音響に関する話題にすっかりなびかなくなってしまった。贅沢な感想かもしれないが、正直なところ、音響に「慣れ」てしまったこともある。

個々人のお気に入りの音響やそれを有する映画館を否定するものでは決してない。ただ今後は4D共々、それらをピックアップした感想を書くことが少なくなると思う。今は良くも悪くも、残り少ない『最終章』が、ガルパンがどういう結末に至るか、そちらの方が気になっている。

もちろん、それでも驚くような上映形式に出会えば、感想は書きたい。微かに期待している。


映画『ゴジラ-1.0』の感想 邦画と特撮、アニメに寄せて

ネタバレなしです。11/3公開の映画『ゴジラ-1.0』(公式サイト)の感想です。初回の鑑賞で面白かったので、この時期の感想ならば鑑賞前後どちらでも楽しめる記事を、と思い立ちました。

※画像をタッチ・クリックすると対ゴジラ篇の予告編(YouTube)が再生できます。

映画『ゴジラ-1.0』の感想

まず、ゴジラのルーツや存在に深く斬り込む作品ではないので、ゴジラのことは「火炎を吹くでかい怪獣」程度の認識があれば大丈夫。ゴジラのいる世界なんだ、と思って鑑賞すればOK。永遠のスターとして東宝の看板になった怪獣なので、その辺りは問題ないだろう。もちろん、これまでの日本、ハリウッドのゴジラ作品を観ていればより楽しめる。むしろ、いいとこ取りかもしれない。

そして本作の肝、VFXの出来は大変素晴らしい。映像の違和感、のようなものがほぼゼロに等しい。このクオリティでゴジラシリーズは続けて欲しい。それでいて艦船など、ちょっと特撮感、作り物感ある雰囲気を残していてニクい。

本作の主眼となるのは終戦直後という舞台である。ストーリーや登場人物の台詞に現代に通じる風刺を感じる箇所はあるが、メッセージにくどさがない。ドラマとして良い塩梅だと思う。実は過去のゴジラシリーズ(1960年代)にもそういう趣向があり、回帰的な内容ではないか。

回帰的といえば、主人公周辺の役回りも「あなたそういうポジションなの?」というくらい展開優先で動かしている。政府の組織云々、といったリアルさよりも、実はエンタメに振り切った作品。舞台設定も上手く利用しているが、むしろフィクションらしいご都合感が心地よいのが本作の特徴だ。

ストーリーや伏線はすごくわかりやすい。台詞だけでなく、映像でも明瞭だ。映画好きなら「あ、この展開はもしや」と先が読めてしまうのではないか。余談だが、兵器好きも同様か。また、登場人物の様子や映像で目についた箇所は終盤の展開に繋がると思って観てもらって構わない。ラストはスッキリしそうでいて、ああやっぱりね、という納得の”不穏さ”と書いておこう。登場人物にも、ゴジラにも気になる映像が入るはずだ。

登場人物の背景や心情描写自体は複雑ではない。順序立てて並べてある。穿ち過ぎることはない。幅広い層にウケるべく、とことん突き詰めたのだろう。キャストの演技は前半までけたたましいが、後半は抑制あって好ましい。お約束の応酬あり。”偽善者ぶって”という台詞だけ、気になった。うーむ。あとは行動が一部ウルトラCで苦笑するかもしれない。この後東京オリンピックとは言え。


最後に予告編を観て本編の内容に絶望を予期している向きのために、一言だけ。人類対ゴジラ、滋味ある攻防で手に汗握るので安心して観に行って欲しい。

『ゴジラのテーマ』はゴジラのテーマではなかった

ゴジラが好きなファンには今更の話で、既に巷で語り尽くされた話題かもしれないが、本作の公開と共にささやかに。


所謂『ゴジラのテーマ』と呼ばれるドシラ、ドシラの楽曲(以下、楽曲はSpotifyリンク参照)は、作曲者本人によると最初の映画『ゴジラ』(1954)ではゴジラのテーマではなかった。元々はゴジラに立ち向かう人類側のテーマだったとのこと。

実はこれ、『ゴジラ』(1954)本編を観ても分かる。ゴジラの再上陸に備えるシーンや隅田川を下るゴジラにF-86が攻撃するシーンで流れる音楽だからだ。全て人類側の手番である。それが後年”ゴジラの”テーマとして定着してしまったわけだ。


では、シン、じゃなかった真・”ゴジラのテーマ”はどれかというと、『ゴジラ』(1954)で使われた『ゴジラの猛威』や、後作品の『キングコング対ゴジラ』『モスラ対ゴジラ』で使われたゴジラのライトモチーフの方だとのこと。こちらは現在、ゴジラ出現時の音楽として比較的知られているのではないかと思う。


これらの話は作曲家・伊福部昭の古い文献やインタビューだけでなく、近年出版された文献にも収録されている。

昔、あの曲を私は人類側の主題として書いたのですが、それを今度はゴジラの主題にしてほしい、といわれたのでとまどったんですよ。
(『伊福部昭語る』 小林淳編 ワイズ出版)

今、ゴジラは『ゴジラ』のタイトルが主題のように思われてますけど、本当のゴジラの主題はあれでないんですね。『キングコング対ゴジラ』でゴジラが列車を襲うシーンの、あのティーララと上がっていく音楽、あれが主題なんです。
(『特撮をめぐる人々』 竹内博 ワイズ出版)

このことに着目して『ゴジラ-1.0』を観ると面白い、かもしれない。


ゴジラ-1.0 [CD盤]オリジナル・サウンドトラック

本作を観る前、観た後に

最後は多少与太話を含めて。本作の鑑賞前後でこれまでのゴジラシリーズを観ると、一層『-1.0』が楽しめると思うので紹介しておきたい。古い作品もあるが、比較的配信されているはずなので気軽にどうぞ。

まずは『ゴジラ』(1954)。当然というか、オマージュしたシーンがふんだんにある。個人的にはガイガーカウンターでニンマリ。

ゴジラ

ゴジラ

  • 宝田 明
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2作目の『ゴジラの逆襲』も通じるものがあると思った。戦法やら色々と。

戦法や、大海原の戦いといえば『大怪獣バラン』もそうか。こちらも最初の作戦は⋯。

『キングコング対ゴジラ』『モスラ対ゴジラ』は、エンタメ路線プラス風刺という観点で観ても興味深い。でも楽曲はそのまま垂れ流しじゃない方が良かったな。編曲もいくらでもあったろうに。音楽を挿入するタイミングは最高だったが。

ラスト付近はつい『ゴジラVSビオランテ』が頭を過ぎってしまった。人間(ヒロイン)とゴジラ、ね。この作品も『ゴジラのテーマ』の使い方に注目してみたい。

恐竜らしさで、『GODZILLA』(1998)は再評価しても良いかもしれない。

GODZILLA (字幕版)

GODZILLA (字幕版)

  • マシュー・ブロデリック
Amazon

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は最近のゴジラのデザインを考える上で見逃せない。そういえばこの作品のテーマや『ゴジラのテーマ』の使い方もそうだった。意外と原点回帰多いな。


『ガールズ&パンツァー最終章』第4話の感想 公開当初に寄せて

公開直後なので、鑑賞前の楽しみを削ぐようなネタバレはなしです。詳しいストーリーも書きません。10/6に公開初日を迎えた『ガールズ&パンツァー最終章』第4話を観たので感想です。

楽しみにしていたことは間違いないものの、さすがに最速や一挙上映で、という気分に至らず。それでもきっと後半からは怒涛の展開だと、一縷の望みを託して。いや展開だけでなく公開も。カイしか合ってないね。色紙は継続の微笑ましい一コマ、でした。

通常上映で観るガルパン

『最終章』第4話は初日からDolby Atmosで楽しめる映画館が全国的に増えた様子。これは嬉しい一方、そうなると今度は通常上映がどんな感じなのか気になってくるというもの。天の邪鬼? いやいや他の上映形式と比較するために標準を体感しておきたいのです。もちろん面白ければ再度映画館に足を運びますから。

というわけで第3話に続いて、初日は通常上映のTOHOシネマズ立川立飛を選んで鑑賞。率直に言って、通常上映でも満足度高いですよ。立川立飛は相変わらず混んでないし、グッズもゆっくり買えるし、移動時間と帰りの時刻が気にならなければ穴場です。

『ガールズ&パンツァー最終章』第4話の感想

では感想。改めて、公開直後なので著しいネタバレはなし。今回は箇条書きで、詳しい感想はまた追々。


・何とも不穏な終わり方、という余韻がある第4話。戦車戦を詰めに詰めており、サービスシーンはあるものの、各校の日常シーンや試合前の様子といったものは無いに等しい。そのためか、後半は勝敗の行方やキャラクターの動向のサプライズよりも、それに至る過程がこれまで以上に省かれた印象が勝る。正直、このまま何事もなく決勝戦なのかな、と今後の展開を勘繰りたくなる。悪く言えば唐突、ぶつ切りな幕切れなのだ。

・継続戦の前半がとても面白い。戦車の動きや風景を見せつつ、各車輌の行動や思惑をバランス良く挿入している。”間”を感じる画作りが凄く上手くいっている。スピード感一辺倒ではない、緩急ある映像も素晴らしい。そこにきて、戦車の駆動や自然音が心地良い。作品内の空気や風が伝わる。第3話と打って変わって、音楽を入れない演出も成功している。

・一方で継続戦後半の映像は近作の悪い癖が出た気がする。前半との出来の落差に驚いた。背景などとても良いのに、肝心の戦車の動きが軽くて速すぎる。ピンボールや最近のレーシングゲームになってしまった。雪上は予告に使われた場面のように、もっとバタバタ、モッサリした斬り合いで魅せてもよかったと思う。終始もがくような戦いもたまには良い。アトラクション的にもアリだろう。

・また第3話から顕著だが、ロングショットを多用し過ぎている。戦車戦を俯瞰する画がやたら目につく。状況説明したい場面で便利だからなのか、せっかく面白いカメラワークで戦車の動きを見せているのに、いちいち挿入される。戦車が急にチマチマした縮尺になってしまうため、あまり必要ないと思う。

・継続戦は前話ラストの流れから、TV放映版の流れを汲んで、ワンクッション挟んで、大洗女子を描く流れ。誰が活躍、ではないというわけか。ただそれでも、新たな”隊長”の息吹はこれが観たかった、の一言。ここからの戦いぶりは新曲、新テーマくらい用意して華やかに盛り上げてくれてもよかった。また、もう少し前話までにキャラクターの関係性に尺を割いてくれていれば。作戦の打ち合わせも同様。つくづくそこが惜しい。後は河嶋桃を今後どうしたいのか。始めはギャグに見せかけてどんどんシリアスに⋯という古典的な流れでもなく、本当にきっかけだけの役回りだと寂しい。

・前生徒会長(杏)の喋り方がえらくキャピキャピしてる。あんな風に話すのは初めてではないか。最後のここぞの台詞だけ、いつものトーンに戻るのはキャラとして意図的なのか、作品としての演出なのか。

・とは言えガルパンは基本的にキャラクター、チーム、学校の関係性や個々の性格は崩したくない様子。みほは相変わらず超然としていて苦笑。想像よりあんこうチームも蚊帳の外だった。各チームを評するシーンなど観たかった。そんな味付けに毎話飢えている。今話の黒森峰のキャラ付けは唐突感アリアリ。大義や浪花節でキャラクターや戦車戦のバックグラウンドを面白くする気はなさそうだ。ここは最終章を面白くするポイントだと思っていたのだが、もう尺も限られており諦めた方がよいか。新キャラが奇を衒った外見で目を引くのも食傷気味。

・アニメと現実を混同する気はさらさらないが、今の世界情勢であの学校が観覧に来るとは。戦車に罪はない。もう登場しないかもと思っていた。戦車をあげるかわりに継続高校を突如合併⋯、は冗談が過ぎるか。

・他校の戦車戦でも急に未来を見据えた話が。聖グロリアーナの新隊長、台詞の流れで一瞬「え、あいつなの?」と思ったら違ってよかった。馬鹿め。それはそうと、今後の展開によっては割を食いそうなポジション。一騎当千の存在は、ともすれば没個性に陥るので作中で上手く扱って欲しい。前述の通り、こういうところにも不穏な空気が立ち込めているのが第4話。

・今話で登場する戦車に関しては、大した驚きはないと思う。もっとも、珍しい戦車がただ動いて欲しいわけではない。予想通り、マーク4におあつらえ向きの展開。案外強い主砲に引き込み式も役に立った。戦車の機動力と頑丈さはもうファンタジーなのでとやかく言わない。

・新OPはキャラクターに注力するのかな、というくらい戦車の影が薄い。こういう新規の映像を見ると、やっぱり戦車戦以外の描写はないがしろにして欲しくなかったと思う。

・次回予告はなし。予告するまでもなく早々に公開していく、とはならないのか。毎話畳み掛ける面白さが失われているのは残念でしょうがない。

・前述の通りDolby Atmosでの上映を話題にしたが、特に第4話は体感、アトラクション要素を意識した映像作りに注力している。リアルな音は魅力だが、そこは通常上映でもクオリティが高い。種々の音響設備が売りの映画館での上映が話題になったガルパンだが、今回はそういった映画館を敢えて選ばなくてもよさそうだ。むしろこの後控えている4DXやMX4D上映が本番ではないか。


ぜひ公開時期よりも、内容で話題先行してくれることを願いつつ、次の話を待ちたいと思います。

邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『アリスとテレスのまぼろし工場』の感想

9/15公開の『アリスとテレスのまぼろし工場』(公式サイト)を観たので感想です。詳細なストーリーを書いたりしませんが、一応ネタバレあり。劇場の予告で知って気になっていた作品。
※画像をタッチ・クリックすると特報(YouTube)が再生できます。

映画『アリスとテレスのまぼろし工場』の感想

アニメーションで思春期の性やエロの表現に迫っていることは否定しない。誤解を恐れず書けば、本作のような映像は今、実写では恐らくできないと思う。キャストの演技含めて、その辺りの生々しさは制作の個性を感じるし、一見の価値はある。冬の薄暗さや闇、夜の場面が多く、特に物語後半での演出や場面転換のための伏線とは言え、統一感ある雰囲気は魅力的だ。

一方で、それらを含めた映画を構成する要素が、所謂「昨今流行りのネタ」の複合体のような印象を超えられなかったのが大変残念な作品だ。90年代と思われる舞台設定や基幹産業の栄枯盛衰、震災後を思わせるようなゴーストタウン、タイムリープ、神隠し⋯。舞台設定を「そんなものだ」で済ませて話を進めるにしても、露骨過ぎてオリジナル作品である前に興味が薄れてしまう。

メインのキャラクターに多感な時期の少年少女を配しているのも同様だ。同級生だけでなく家族の存在を物語に盛り込んでいるのは好印象だったが、物語に割く尺が足りなかったように思う。三角関係やサブキャラの恋愛、家族との関係、演出だけでなくもう少しエピソードで踏み込んで欲しかった。親子の機微など、もっと感動的な流れにできた気がする。本作のように並べ立てただけでは、地上波放映の総集編のような印象すらある。ただしヒロインの父親だけは演技過剰。作中で浮くほどの胡散臭さで設定を意図的に誤魔化したかったのかもしれないが、存在含め観ていて大変萎えた。

流行りのてんこ盛り、と前述したが終盤の展開は90年代有名なアメリカSF映画である。作品名を出すまでもない。残される側の視点であることはやや珍しいが、列車に車で元の世界へ、と来ては思い出さざるを得ない。花火の演出など美しく映像は嫌いではないが、この一連の流れもまた特定の世代に向けたノスタルジーか、と書くのは嫌味だろうか。その上でとりあえずハッピーエンドへ舵を切るのは昨今の定石で、色々と目新しさはない。


音楽ついては特に印象なし。主題歌も特に映画本編とのリンクで感銘を受けるものではなかった。個人的に、主題歌を聴いて余韻を感じる映画は余程構成が練られているか、シリーズ物で前から知っている(歌)か、どちらかだ思う。前者でそこまで本編に前のめりになれる映画には、残念だが出会っていない。本作も映画館で観なくとも、興味があれば配信を待てば遅くないだろう。


邦画と特撮、アニメに寄せて 映画『君たちはどう生きるか』の感想

7/14公開の映画『君たちはどう生きるか』を観てきたので感想です。ネタバレあり。個人の体感ですが、事前に宣伝しないと「上映してたの?」という人が公開後身近に結構いました。この戦略が功を奏したかどうか、商売のことは私には関係ないものの、日々スマホやPCを使う昨今でも興味や関心のアンテナは案外高くないものですね。

※画像をタッチ・クリックすると海外予告(YouTube)が再生できます。

映画『君たちはどう生きるか』の感想

制作の知名度を考慮して、過去に発表した作品の鑑賞を踏まえた感想にしたい。

まずアニメーションに関して、このジャンルにまだ表現の余地が残っていることをまざまざと見せつけてくれる。冒頭の空襲や火災、火の表現は圧巻の一言。火傷しそうな熱風や炎、眩しさをここまで描けるのかと感嘆した。中盤の帆を操るシーンのきめ細やかさもしかりだ。現代のアニメーションでこういう画に挑む作品が一体どれだけあるだろうか。ちょっと思い当たらない。

ただ意図的なのか、中盤から後半は既存の文芸作品やイメージを匂わせる画が多い。それもオマージュに留まらない昇華や換骨奪胎というものではなく、既視感が先行してしまう種類のものだ。ズバリそのものでなくとも、「まるで○○(作品名)みたい」といった感想が思い浮かぶ。それが本作では残念ながら、新規の映像に対峙する楽しみを減退させてしまった気がする。

例えば主人公が迷い込んだ世界はルイス・キャロルのアリスシリーズのそれであり、動物との戦いならチャイコフスキーはじめとした『くるみ割り人形』であり、鳥が人を襲う恐怖はヒッチコックの『鳥』である。元ネタ探しなら、それはそれで興味深いだろう。

また個人的に、本作の公開前に出版された江戸川乱歩の『幽霊塔』を読んで、今度の新作は朽ちた屋敷とその秘密を描くのかなと、予想していた。事前の宣伝はなかったが、公開日に劇場で「やっぱり」と思った観客は案外いるのではないか。

次にストーリーや演出に関しても、全体的にとりとめのない印象を受けた。

作家(監督)の独白、心象風景だと言えば聞こえが良いかもしれないが、展開に起伏や伏線の妙味は期待しない方がよい。舞台は現実世界の日本でありつつも、決してリアル志向ではない。導入からして「不思議な世界へ迷い込む」というファンタジーの王道である。それなのに、テーマを盛り込みつつ、作品を如何に面白く魅せるか、この点において本作はかなり上手くいっていない。

単に「作品のテーマを読み取り解釈することが困難だからつまらない」、というわけではない。映像面でのイメージと同様、正解でなくともたぐる糸口はある。例えば世界観はウロボロスの蛇なのかな、それならば生と死、破壊と創造は作家自身のことで、迷い込んだ世界が広いようで広がりを感じないのは個人の真理だからか、そんなことを考えながら観る余地はある。観客の数だけ、これが正解、でなくてもよい。

むしろ盛り込んだテーマに無数の答えを求め過ぎたがゆえに、作中の登場人物や心理描写の軸が安定せず、結果として作品に振り回されたのではないかと思う。そのせいで大切な人を助けたのに、元の世界に戻ったのに、それらが鑑賞後の余韻に寄与しなかった。有り体に言えば、「やりたい画」が先行して、その他必要な筋の通ったエンタメ要素がおざなりになってしまったのではないか。それが原因で、シーン毎に断続的な印象を与えているのではないか。


とりわけ本作では、「目的のために移動する」シーンがつまらなかったことが痛恨だ。飛び石を飛んだり、走るシーンは比較的多かった。だが、場面の繋ぎ以上に移動を描くことに意味を持たせるか、移動の画を省略してまで描きたいことが他にあるか、どちらもできていない。あまりに淡々としている。

これまでの作品を例に取れば、『天空の城ラピュタ』でパズーがラピュタの内部をよじ登ったり、

『千と千尋の神隠し』で千尋が配管を伝って走ったり、

いずれも登場人物の意志や行動の理由がひしひしと伝わるシーンだった。月並みだがハラハラ、ドキドキした。音や音楽含めた演出も面白かった。欠くことのできないシーンだと思った。色々なことを書き連ねたが、本作ではそんな古典的な、いや基本的な面白さが物足らなかったので、がっかりしたのかもしれない。


最後に音楽について。作品の「とりとめのなさ」に影響されたのか、本作ではいまいちピンとこなかった。主題歌も感銘を受けなかった。他の映画にも言えるが、お決まりのようにエンディングに主題歌を入れなくともよいのにとつくづく思う。商売を考えてのことだろうが、映画を構成する要素である以上は検討の余地があるだろう。余談だが定番の食事シーンも同様だ。アニメ映画で食事の描写に力を入れる風潮を生み出した元祖、だとしても本作は取ってつけた感がひどく、残念だが必然性を感じなかった。そろそろこの風潮も終焉でよさそうだ。


今劇場へ急がなくとも、一度は地上波で放映されるはずなので、次観るのはその時だと思う。


もう一つのバッハ『ゴルトベルク変奏曲』(コフレル編)

こんな時代だからこそ、ジャケットをデカデカと載せた上にチョロっと鑑賞の備忘、で終わりたくないものだ。文章でも呟きでも。もう呟き、じゃなくなったか。

他意はない。などと書くだけでもうアリアリか。いやむしろ、自戒を込めている。

ちょっとスマホやPCを駆使すれば、未知の音楽にも、知っていた音楽にもすぐ会えるのだ。どうせ発信するなら些細でも手持ちの情報や興味関心を添えたい。役に立つかはわからないが。そんな曲と録音があるので紹介したい。


トレヴァー・ピノックがJ.S.バッハの『ゴルトベルク変奏曲』を室内オーケストラ版の珍しい編曲で指揮した録音が、近年になって発売された(Linn Records)。コフレル編である。編曲者についてはHMVやタワーレコードといったショップサイトに情報がある。同じことを転記してもしょうがない。とにかく、他の版とは一味違う、木管楽器を活かした素敵な編曲だと思う。


このディスクは日本でもそこそこヒットした様子だ。また配信サイト、例えばSpotifyを見てもそれなりに再生されているのではないか。

ただ実際聴いてみると、上記ショップサイトの宣伝に出てくる”明晰”、”晴朗な響き”といった表現とは、私の印象は若干異なる。精緻なのは確かだが、やや四角四面、生真面目な演奏のような気がする。整い過ぎている。おとなしい。充分聴ける演奏だが、楽しさに欠ける。

なぜそう感じたか。ひょっとしたら、この編曲・録音を初めて聴いていたら、もっと鮮烈な印象だったのかもしれない。


実はこのコフレル編、記事冒頭で「珍しい」と書いたが、宣伝等で触れられていない世界初録音が既にある。ポーランドの女性指揮者、アグニェシュカ・ドゥチマルがポーランド放送アマデウス室内管弦楽団を指揮した録音(Polskie Radio)である。実は以前から私はこの録音でコフレル編に親しんでおり、今回ピノック盤でこの編曲が注目されることにさして感銘は受けなかった。

このドゥチマル盤が大変素晴らしい。愉悦、浮遊感、まさに歌い踊る心地良さ、息遣いはこちらの演奏に軍配が上がる。技量の話を脇に寄せておきたくなる、楽しさがここにあると思う。いや、技術も引けを取らない。特に木管楽器の弾むような演奏が聴きものだ。収録状態も大いに寄与しているのであれば、尚の事評価したい。配信で聴いてもその印象は変わっていない。ディスクを探さずとも、まずは聴いてもらいたい。

この録音、ディスク発売当時からして珍しかったが、誰にも注目されていないが故にプレミアもつかず投げ売りになっていた。マーケティングのことは知らないが、指揮者も団体も”売れ線”ではなかったと思う。編曲者のコフレルの話題すら正直記憶にない。個人的にドゥチマルは以前から気になる指揮者の一人で(芥川也寸志のトリプティークや展覧会の絵の編曲版も良い)、幸い手に入れていた。ピノックの方が知名度や盤の流通具合は上かもしれない。再生数が評価ではないが、配信でも殆ど聴かれていないようだ。それでも思わぬ新譜のおかげで、もう少し話題になってよい演奏、指揮者だと再認することができた。


自分は前から知っていた、という優越感に浸りたいのではない。知っていようがいまいが、今や配信でこんなに簡単に聴く手段があるのだ。時流に乗るのもいいが、便利な道具で少しは調べて探して工夫して、大いに趣味を楽しみたい。

異星人を相手の後か、その前か 『地球防衛軍』(1957)・4Kデジタルリマスター版の感想

「午前十時の映画祭13」で8/4上映開始の『地球防衛軍』(1957)・4Kデジタルリマスター版を観てきたので感想です。今は同名のゲームシリーズの方が有名でしょうか。今回の感想は作品に纏わる話だけでなく、映画館での体感・4K版の映像・音響諸々に書ければと思います。

『地球防衛軍』(1957)の感想

まず映像について。現在流通している配信やDVDは後半に痛みが目立っていたが、綺麗になっている。冒頭のタイトルクレジットの発色からして印象的だ。また4K版は全体的に質感が向上している。例えば放水を浴びたモゲラのテカリ具合などより生々しくなった。

ただ本作はかなり手を加えたせいか、いい感じにぼやけていた操演が少々クッキリした気がする。とは言え「どうやって吊っているのかな」と注意深く見ればの話である。従来通り全くわからないシーンも多く、当時の技術や完成度の高い映像作りに感心してしまう。F-86やF-104、円盤の操演は本当に凄いと思う。

音響面では事前にアナウンスあったように、疑似ステレオの効果が面白い。台詞が発せられる場所毎にスピーカーを使い分けているのがよくわかる。音楽も『キングコング対ゴジラ』のように立体音響があったらと、楽曲の弾け具合を聴いてつくづく惜しい。

ストーリーは単純なようで、存外味わい深い。ただ侵略者を撃つのみの通り一遍でなく(後半はその色が強いが)、この頃の東宝特撮らしさが盛り込まれている。

秘密裏にいきなり土地を拝借した挙句、災害を起こして事実発覚。それを些細な犠牲と言い、さらに土地を要求する。侵略ではない、平和裏に解決したいと言いつつターゲットの女性は既に拉致を開始、決裂するとさらに広大な土地を力づくで奪うと宣言。地球人が敵うわけがないとタカを括っていると猛反撃に遭って退散。ミステリアンの侵略経緯と言い、侵略の手口と言い、人類側に、現代にこそ思い当たる節がないだろうか。声高に述べるより、メッセージはさり気ない方が効果的な場合がある。そしてそこに図らずも作品の普遍性が生まれている。

そうして観ていくと、後半の人類大攻勢も考えさせられる。相手が原水爆以上の武器を持っていそうだが、原水爆で対抗はできない。でももしそんな武器を使ってきたら? その前に決着をつけるとしたら? 本作でその答えは電子砲とマーカライト(ファープ)だった。それらの効力が無かったときのことは描かれなかった。ファンタジーが故の、あまりにも強力なゲームチェンジャーだったからだ。映画での活躍は痛快この上なかったが、そういった上には上を行く技術の登場や応酬もまた、現実世界では終わりが見えないので寒気がする。


そもそも我々は今、ミステリアンが攻めて来たら世界で一致団結して対抗するのだろうか。ミステリアンに協力を表明する国も、民間団体も、個人も、いそうではないか? 映画の中以上に。

そしてそうなって地球が焼け野原になったときに、宇宙に逃れる人々も、いそうではないか? 宇宙船だって、別に国家や政府の要人だけが使えるわけではないのだから。

これまで幾度となく楽しんでいた作品だが、思わずそんな時事を織り交ぜたくなった。

そういえば最終決戦になると大将クラスが自ら戦場に赴いて指揮を執る、というのもフィクションのようで案外リアルである。余程改修に自信があっても、あれだけ首脳陣が搭乗しているα号をわざわざドームに近づけないだろう。ただ、そうしたトップの行動や心意気が士気に影響する、というのはごく最近の現実でも思いつく。こうなると渥美の単身ドーム潜入や白石の寝返りによる形勢逆転が映画的なお約束で、むしろ安心する作品だ。

雑談:ゲームで遊ぶ『地球防衛軍』

最後は特撮好きとして雑談で楽しく。冒頭で小ネタを入れたが、本当に本作をベースとしたゲームがあるので紹介しておきたい。1993年にPC-98で発売された『ゴジラ』(システムソフト 現システムソフトベータ)である。

以前に別の記事でも紹介したが、このゲームは防衛隊(自衛隊)となってゴジラを始めとした東宝特撮怪獣を倒したり誘導したりする戦略SLGである。もちろんシナリオは映画ベース。この中の『地球防衛軍』ベースのシナリオがまた最高なのである。映画の感想では色々書いたが、ゲームは楽しく映画に登場する兵器でミステリアンと一大攻防戦を繰り広げることができる。

当時のPC、それもPC-98のスペックで動くゲームなのでグラフィックは地味だが、その再現度が素晴らしい。効果音や鳴き声も劇中使用のものだし、BGMも伊福部昭と佐藤勝の音楽だ。当然『地球防衛軍』ではあのマーチ。テンション上がりっぱなし。その上α号やβ号、マーカライトファープを操作できるのだから至福の時間である。

※β号の攻撃。カッコいい。円盤にナパーム? 気にしない気にしない。

ちなみに映画序盤を再現したシナリオ『第一次攻防戦』の目標達成はミステリアンドームに隣接だ(シャーマンで突撃していたのを再現するわけだ)。これが結構難しい。ドームは映画さながらの強さなので、隣接する前に簡単に1ユニットが吹っ飛ぶ。モゲラは通常兵器で倒せる強さだが、案外しぶとい。

※映画のような攻防。放水車はいらないけどデフォルト配置で外せない。

また映画よろしくどんな兵器でも怪獣を攻撃できる。なので画像のようにモゲラに放水だってできる(もちろんダメージは0)。とまあこんな感じで、大げさだが私はこのゲームで夢が叶った。このゲームをプレイできるよう、今でもPC-98とディスクをメンテし続けている。いい加減プロジェクトEGGあたりで復刻してほしい。今回映画を鑑賞して再現を狙うのも一興。

映画『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』に寄せて

話題作は人の入りが落ち着いてから、が良い気がしてきました。6/30公開の映画『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(公式サイト)の感想です。ストーリーを事細かに書いたりはしませんが、ネタバレありです。観た人向けの感想です。

本作はシリーズ物ですので、その辺りにも軽く触れてから感想です。予告編はTVスポット30秒を。音楽がもったいぶってないので。

※画像をタッチ・クリックすると予告編(YouTube)が再生できます。

これまでの『インディ・ジョーンズ』シリーズについて

これまでの『インディ・ジョーンズ』シリーズ、『レイダース』から4作目『クリスタル・スカルの王国』は鑑賞済です。どれもTV放映やレンタル、配信で何回か観た程度です。4作目など公開されて5、6年経ってから観たと思います。概して面白い映画だな、という印象でしたが、劇場で観た思い出や作品に対する思い入れはさほどなかったです。

ただ『運命のダイヤル』を観るにあたっては、事前に前4作全て鑑賞した方がよいと思います。あるいは『運命のダイヤル』を観た後に前4作を観てもう一度『運命のダイヤル』を観る。どうも1作目の『レイダース』だけ観ておけばよい、みたいな評を見かけますが、1作目だけ鑑賞してから臨むのはもったいないと思います。作品毎の出来不出来や、出演者や制作者に纏わるパブリシティが気になる向きもあるでしょうが、それ抜きにしてシリーズ最終作に至る流れを把握して鑑賞するのが本作の真骨頂です。実はその意味で本作は急いで観に行かなくてもいいのでは、とすら考えています。

とは言え映画館で楽しみたい方は早めに足を運ばないと上映が終わります。細かい仕掛けに着目するのもよいですが、作品毎に「ああ、そんなことあったな」といった大まかな流れが思い浮かべば十分でしょう。ちなみに私は、現代にないSFX・特撮的な魅力を感じる1作目が一番好きです。神秘的な雰囲気は色褪せてないです。ストーリーは3作目でしょうか。4作目のオチも割と好きです。

映画『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』の感想

まず映像面から。序盤の若かりし頃のインディ・ジョーンズ登場は本当に凄い。現代だからこそできる映像技術で、一見の価値あり。この自然で違和感のない画は、今後公開される映画全てに影響を与えると思う。いや、映画作りの幅が広がるはずなのでぜひ広まって欲しい。その他映像面でのクオリティの高さは言うまでもない。過去のシリーズで感じる合成やCGの違和感は本作では殆どない。このクオリティですらいずれ古びて見えるのか、と思うと末恐ろしい。

内容について。実は普段作品の良い点・悪い点を書くとき、良い点を書いてから(褒めておいてから)つらつらと愚痴を書く性分なのだが、今回は敢えて先に不満点を少しだけ書いている。褒めたい内容が肝心な所だからだ。

全体として、カレッジからの逃走劇、カーチェイスや船上でのアクションはややメリハリを欠いたように思う。現代に近い舞台設定で苦心したのだろうが、冗長に感じた。場所の移動が多く、その度に追いつ追われつを繰り返すので飽きてくる。序盤の列車でのアクションが見応えあり、完成度が高いのも災いした。この構成のせいで、定番の新たな宝と謎の解明シーンの緊張感や達成感が薄れてしまった。足早に台詞で済ませたような箇所もあり、サクサクし過ぎている。もっとも終盤の終盤で、インディがラストの”オチ”に気がつく所作や間が度々挿入されているのは可笑しかった。この点は2回目の鑑賞して面白さが増した。小道具の伏線も良い。

本作で最も私の心に残ったのは何と言っても、一線を退くインディ・ジョーンズ、私生活に影を落とすインディの描写である。初っ端から、酒を飲みテレビつけっぱなしで寝落ちしているインディである。博覧強記で腕っぷしが強く、活動的で滅多に家にいない、(主観かもしれないが)ルックスの良いヒーローが、一気に身近に、いや他人事でなくなった。映画で求めていたインディ像ではない、といったことでない。あのインディですらこうなるのか、だったらインディのような魅力を何一つ持ち合わせていない人間の老い先は一体どうなるのか。まして作中のインディに比べたら平穏に生きているはずなのに⋯。大げさだが身につまされる向きもいるだろう。種々の観客に向けて意図した描写であればまさにストライクだった。

このインディ自身の生活や心の有り様を示すに、身近な周囲の描写が良い味を出している。宇宙時代到来の空気よりも、とりわけカレッジでのシーンが生々しい。広々とした階段教室には活気がなく、講義には出席するのに勉強してこない学生⋯。前4作までのカレッジ・学生との変化がさり気なくも重い。今や教壇に立つ時間が増えたであろうインディの心境や如何に、察するものがある。またこれが個人的に、自分の学生時代を思い出すようで耳が痛い。あの頃もっと勉強しておくべきだったと、インディに思わず詫たくなるような、そんなノスタルジーも喚起されてしまう。

定年退職の様子も同様だ。サプライズの前に労ってくれそうな親しい同僚も、もはやいない。周囲に感謝は述べるものの、上辺だけで心はない。お決まりなのか、貰って嬉しくもない記念品を渡される。受け取らないことはないが、せめて酒だったら持って帰っているだろうに。この後の逃走中に役立つアイテムになるか、景気づけに栓を開けていたかもしれない。何より、そんな好みや趣味を誰かと語らうこともなくなったのだろう。当然帰りも一人、酒場で一杯だ。単なる「孤独」では片付けられない、現代の人間関係に通じるものがある。既にそんな時代にインディが生きていることに一連の物語の終焉を感じる。

そんな日々に加えて家族のことで思い悩み、望まずも冒険に駆り出される。すると、その先で長年追い求めていたロマンが現実になる。インディが現代に帰らずその時代に「残る」と言い出すのも当然ではないか。それこそ私がヘレナだったら、「ここにいなよ」と言っているところだ。初見時そんな結末をつい期待してしまった。インディの境地に大いに共感してしまったのである。多分私はその結末でも満足していたと思う。

だがそれでもヘレナは、殴ってでも連れ帰った。インディにはそうしてくれる人物がいた。そういえば困ったときに手を貸してくれる友人はいるし、なんだかんだ様子を見に戻ってきてくれる家族もまだいるではないか。これまでのシリーズを全て見たはずなのに、秘宝だけではない、幾多の冒険で得られたものや繋がりが残っていたのを上映中すっかり忘れていた。つまらなく、黄昏時を過ごしているはずの現代に、今に、大いに価値があるではないか。気恥ずかしいが私自身、そういう人物や関係が間近に思いつかなかったので視野が狭くなっていた。大体、説得するのに殴るなんて余程のことだ。でも、こんな簡単なことに気がつかないなど、余程のことである。


そんなストーリーの畳み掛けが、ラストを無事帰ってきてよかったね、で終わりにさせてくれなかった。これから払拭しなければならない鬱陶しいことや、わだかまりを想像してしまうからだ。だがそこに生きていく価値がある。繰り返すが、インディのような生き様はあくまで空想だ。普段あのような冒険は、多分ない。けれども、あのインディですらこんな日常に身を投じて生きていくのなら、少しは奮い起ちたくなるというもの。冒険の興奮や爽快感よりも、そんな余韻を残してくれる映画だった。また折に触れて観たい。


『ガールズ&パンツァー最終章』第4話公開情報・他雑談

さすがにこれほど公開時期が延びると関心も何もあったものではない。

というわけでめっきり記事にしなくなったガルパンですが、やっと『最終章』第4話が観られるな、という情報が公開され始めたので雑談しておきたいと思います。

『ガールズ&パンツァー最終章』第4話のキービジュアル・本予告第1弾が公開

発表されたとき話題にすらしなかったですが、『最終章』第4話の公開日は2023年10月6日(金)の予定です。そして今月キービジュアルと本予告第1弾が公開。あとストーリー(!)も。

キービジュアル、やっと「まあ、こういうのだよな」というデザイン。だってさあ、去年公開されたティザービジュアルといい、第3話の新ビジュアルといい、何のヒネリも面白味もない立ち姿だったんだもの。やっぱり作品に思いを馳せたくなるデザインが見たいですよ。本編が面白ければヨシ、とは言え。私なんぞが商売の心配をしてもしょうがない、とは言え。

そのキービジュアルはあんこうチームのいない大洗女子に俄然興奮。こういう展開もうちょっと早く観たかった。それは言ってもしょうがないですが、この面々の顔を久々に眺めたくなりました。不安そうな者、ちょっとあっけにとられたような様子の者、妙に落ち着き払っている者、闘志ある眼差しの者。この表情通りの展開なのでしょうか。そうなるとまずは澤ちゃん辺りに次期隊長への覚醒が、などと期待したくなります。いやいや、こういうビジュアルを見せておいて桃ちゃんが一世一代の大立ち回りをするパターンかもしれません。『最終章』では失態という失態もなく、状況判断自体は悪くないですからね。あるいは新加入のサメさんチーム大活躍でしょうか。あんな状況でわざわざ第3話で討ち取られなかったのですから。

こんなことを書くと、どのキャラに対しても「いや、この流れで○○が活躍するのは不自然・唐突」みたいな話題が噴出しそうですが、作中で今までなかった状況ですからね。誰が活躍してもおかしくないし、誰が活躍しても面白いと思います(だからこそ早くこの展開が観たかった)。

それに、もしそうなっても納得いく結末が一つあるんですよ。奮戦するも敗北、ってやつですね。これも前から私が観たいと思っていた展開なんですがね、テヘへ。


久々に『最終章』の展開予想など軽くやってみますが、第3話~第4話は何となく第2話~第3話の逆をやるような気がします。知波単みたいに序盤から対戦校の戦車と生徒を総出にするのではなく、話の流れで車輛と生徒の役割を明かしていく感じです。「へぇ、継続にはこんな子がいるんだ」という発見や楽しみを並べて興味を駆り立てるわけです。そしてその流れでいくと、最後は継続を追い詰めるも力及ばず、となるでしょ? これならあんこうチームの面子も立てられますし、前述のキャラの扱いの”えこひいき”問題も緩和されます。更にここでトーナメントから外れて新展開突入ですよ。と、また自分が観たい展開に持っていったりして。

とは言え先に紹介した第4話のティザービジュアルを見る限り、最後まで無限軌道杯中心で進むんだろうなあ。そうなると知波単戦と同じく、大方が「どうせ大洗女子が勝つんでしょ」の結末ありきで鑑賞しちゃうと思うのですがねぇ。何か新味はないですかねぇ。

そうそう、本予告第1弾はシリアスなナレーションがとても良いのですが(みほじゃないのも新鮮)、少々ネタバレ気味です。ちょっと宣伝の仕方変えたのね。予告を公開まで観ない向きもいるかと思うので、ストーリー同様ここではネタにしません。それにしても雪中をこれほど前面に出すなら、もうちょっと寒さ対策した服装見たいな~。また文句垂れてら。

※画像をタッチ・クリックすると本予告第1弾(YouTube)が再生できます。


あとはもう3ヶ月、ささやかに楽しみにしておきましょう。そうだ、最後に公開日の雑談。さすがに第4話以降は公開間隔を短くして欲しい。ラストに向けて畳み掛けてほしい。そのための第4話公開までの期間だった、と思いたいです。これでまた2年半いや1年半は、さすがにないですよ。

※2023/10/7追記:


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