デジタルエンタテイメント断片情報誌

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SpotifyとNMLでクラシック音楽 その4 モーツァルト

PCに向かったり、本を読んでいる時、いわゆる「ながら聴き」で音楽を聴くことはありますか。実は私は、ほとんどないです。これはクラシックというジャンルに限りませんが、どうも音楽を聴いていて「ビビッ」とくると、手が止まってしまう。お気に入りの音楽はもちろん、聴いたことのない音楽で「お、この曲面白いな」と思ったときにはもう、作業中断です。

これは「集中できない」とはちょっと違う、「音楽に、聴くことを強要される」瞬間とでも言いましょうか、私が音楽に惹かれる理由、ひいては音楽の魅力の一つだと思っています。

便利な配信サイトでクラシックを聴く話ですが、今回はモーツァルトと巷で話題の人物に絡めた話を。

モーツァルトのピアノ協奏曲集

音源の市場規模や演奏会の頻度を考えてみても、クラシックにおける「交響曲」は一大人気ジャンルではないかと思う。クラシックといえばオーケストラが奏でる交響曲、という向きも少なくないのではないか。
前2回の記事ではその辺りも意識して交響曲の話をしたのだが、ここらで協奏曲、それもモーツァルトのピアノ協奏曲などどうだろう。

いきなり室内楽や器楽といった小規模のものを聴こう、ではなく、まずはオーケストラの中で、ピアノという楽器の音や存在を意識すると、クラシックを楽しむ世界がグッと広がる。「演奏家」という興味が増えたり、オーケストラ各パートの音色を今まで以上に意識するようになったりと、良いことづくめなのだ。

クラシックが好きという人でも、交響曲・管弦楽曲以外はてんで聴かない、興味がないという人はネット上でもそれなりに見かける。大いに結構なことだが、繰り返し書いているように、この時代、まずはガンガン聴いてみて判断が早いし謙虚だ。

モーツァルトのピアノ協奏曲は比較的数が多く、お気に入りのナンバーを見つけたり、順々に聴いていく楽しみとしても不足はない。SpotifyやNMLでは、当然まとめて聴ける。


CDでも今だにそれなりの価格がするピアノ:内田光子(テイト指揮イギリス室内管弦楽団)の演奏が、SpotifyやNMLで、さらにSpotifyなら無料で聴ける。日本人演奏家に対する抵抗感? 食わず嫌いならぬ、聴かず嫌いですか。無料でも聴けるのに。

ピアノの音が柔らかい、鄙びた音という評を見かけた気がするが、私には落ち着いているようで、ガンガン主張する音色に聴こえる。そこが聴いていて、ハッとさせる。

鄙びた、くすんだ音色といえば私はコチラの録音を思い出す。ピアノ:アンネローゼ・シュミット(マズア指揮ドレスデン・フィル)の演奏。豪奢ではないが、ピアノ・オーケストラ共に勢い・テンポも小気味良くて好きな演奏。

Spotifyだからこそ聴けるSONY BMGの録音から、ピアノ:ペライアの弾き振り(イギリス室内管弦楽団)。特にピアノの音色の美しさ・柔らかさに惹かれる。編曲の第1番~4番等も含んでいてオススメ。

雑談:モーツァルトと加藤一二三九段に寄せて

棋士を引退した現在も、騎士でありTV始め様々なメディアで猛威を奮っている加藤一二三(ひふみ)九段は、クラシック音楽、特にモーツァルトがお気に入りだそうだ。ピアノ協奏曲でいうと第22番。

一般にモーツァルトのピアノ協奏曲で有名なのは第20~27番なのだが、その中でも第22番というのは、やはり珍しいかもしれない。実は私も第22番の第2楽章アンダンテは大変好きで、傑作と言われる第20番や第21番にも引けを取らない出来の楽章だと思っている。

加藤九段の話に戻るが、前述のピアノ協奏曲第22番は、映画『アマデウス』を観て知ったとのこと。ネット環境が普及・整備されて以後、定期的に起こっているように思える将棋ブームが10年位前にもあり、その頃発売された『一二三の玉手箱』(著:加藤一二三 毎日コミュニケーションズ)に詳しく載っている。大仰なエピソードでなく、私などは好感をもっている。

一二三の玉手箱

一二三の玉手箱

これに限らず、どうも奇人変人の類のイメージばかり先行しているような加藤九段だが、こと音楽に対する純粋で飾らない嗜好には敬意を表したい。そして、その人となりが、棋士としての人生にも生かされているのが、羨ましい。前述の書籍で「N響アワー」に出演後、多くの人から声をかけられたことに対しての一文。以下引用:

私は将棋だけを突き詰めていくだけでは限界があり、視野の広さとか、本物にふれることが成熟する上で必要と確信しているので、声をかけた人々を同志と感じた。

(『一二三の玉手箱』 毎日コミュニケーションズ P.147)

現役時代、あれほど将棋に邁進しているように見えた人物でさえ、「限界」を意識するのかと思うことしきりである。


また一方で、モーツァルトやドボルザークが自曲を出版する努力、つまりは営業活動を怠らなかった点を「真の芸術家の模範を見る思いがする」(同、P.184)と評しているなど、リアリストの一面もある人物である。

現在の加藤九段の活動や各メディアでの扱いに眉をひそめたくなる向きもあるかもしれないが、全ては将棋の普及のため、そういう目で見ると、深く・畏れ多い人物だなと見識を改めている。

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