デジタルエンタテイメント断片情報誌

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SpotifyとNMLでクラシック音楽 その3 チャイコフスキー

音楽ファンにとって、こういう配信サービスで一番怖いのが「サービス終了」ではないでしょうか。そのためにCDやレコードを処分できない音楽ファンも少なくなさそう。私も実は思い入れのある曲の音源(この演奏で”ハマった”、みたいなCD等)は手許に残していたりします。日常の移ろいとともに日々聴くものが変わるから執着がない、所有に興味のない、といった御仁が正直羨ましい。下記二つがダメになったら、まあ別の配信サービスを検討しましょう。


今回はチャイコフスキーともう1題です:

チャイコフスキー交響曲全曲

ロシアの交響曲は佳曲が多い、というのが個人的な実感で、知名度だけでなくクラシックの魅力を知るに十分だと思う。そして、チャイコフスキーの曲を「初心者向け」「ぬるい」と評してしまう向きは、私は半可通を疑ってしまう。

聴く”季節”としても適しているのではないか。もっとも「冬は味噌ラーメン」ではあるまいし、「冬はチャイコフスキー」で話をすすめるにはいささか論拠に乏しいのだが、交響曲に限らず、無性にチャイコフスキーが聴きたくなるのは寒い時期のような気がする。

これは気温によって、空気中の音の速さが変わることが影響しているのだろうか。要はロシアの気候や冬に適性がある曲なのだ、と。・・・まあ、これをもう少し衒学的に書き散らせば一端の記事になるのだろうが、現代の演奏・録音環境や作曲時期を考慮すると無茶苦茶な持論展開になるのがミエミエなので、この位にしておく。

ちなみに現在は定評ある曲として有名だが、発表当時の交響曲第5番は評価が芳しくなかったとのこと。そんな話を聴く度に現代音楽の評価もまだまだ先なんだろうな、と私などは思い巡らせるが、果たして如何に。


指揮者のオーマンディもかつては好事家の間で賛否両論だったようだが、今や聴いて確かめるのが早い。特にオーマンディが指揮する第5番を聴いて、私はこの演奏がムード音楽やBGMの類などとは全く感じない。

ロストロポーヴィチチャイコフスキーを指揮したときの歌い回しは、癖になる。しばらく聴いて、離れて、また聴きたくなる。第2番が濃厚。

そうそう、チャイコフスキー交響曲第2番はチャイコフスキー出世作で、よく「チャイコフスキー交響曲は後期(第4~6番)だけで良い」みたいな”選曲ガイド”を見かけるが、ロシアの交響曲の系譜として聴いておいて損はない。第4番作曲後に改訂したものが現在多く聴かれるバージョンであり、聴感上は後期交響曲に劣る印象はない。
第1~3番、マンフレッド交響曲も捨てるには惜しいというのが、私が今回交響曲全曲で、と書いた理由。もちろん気に入った曲・楽章を聴くのは各自お好みでどうぞ。

現代音楽と配信サービスと、武満徹

日本人作曲家にかぎらず、現代音楽は演奏されて、聴かれて・・・まだまだ衆目に晒され足りないと思う。かつてはレコード・CDを購入したり、ラジオでの数少ない放送機会や、演奏会のこれまた珍しい予定を窺っていたものが、ともすれば無料で聴けるのだ。この機会を演奏側も視聴側も逃してはならない。そうやって、どんどん”評価”が繰り返され、生まれて欲しい。難解だから良い、みたいなことを平然と言ってのける輩もいるが、それは思考停止というものだ。あるいは趣味が変質して、「私は他とは違う」と言いたいだけのマイナー・珍曲コレクターに堕してないか。

そこで、今こそ武満徹なんてどうだろうか。こんな新しい録音がSpotifyで無料で楽しめるのだ。CDを買って感想なんて、現代音楽好きとしても、思えば悠長過ぎた。聴けるものはどんどん聴かれて、ときに感動を呼び、ときに「つまらない」と斬られればよいのだ。それも世界中で。

武満徹で私が特にお薦めするのは合唱曲。阪神ファンで「六甲おろし」を熱唱し、流行歌のメロディをつくって他人に売っていたという*1(本当かよ)武満徹の、もっと知られて欲しい魅力の一つだと思う。武満徹だって色んな聴き方・楽しみ方があって良い。

*1:特に流行歌のくだりは、 『行動する作曲家たち』新潮社、P.65より岩城宏之談。

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